平成20年5月14日 

葬儀委員長を務めていただいた岩尾総一郎様のご挨拶を紹介いたします。
 

故・小達スエさんを家族、親族とともに看取った一人として、故人の一生をご紹介したいと思います。

小達スエさんは昭和8年8月3日、野村一郎・ミキの3姉妹の末っ子として群馬県沼田市に生まれました。
幼年時は活発で、沼田小学校、中学校ではたいへん人に好かれました。沼田女子高校時代も友人に恵まれ、とくにスキー、水泳などのスポーツを愛好する女学生でありました。
高校卒業後、在家日蓮浄風会の夏期講習会にて後の夫となる小達宗一氏とめぐり合い、昭和28年に20歳で結婚致しました。

嫁ぎ先の小達家は当時、港区麻布箪笥町にて亀甲屋という雑貨商を営んでおりました。
結婚した翌29年に長男の一雄、昭和32年に長女の雅子が生まれます。
スエさんは義理の両親とともによく働き、持ち前の明るさとリーダーシップを発揮して10人を超す従業員を率い、若おかみとして店の発展に大きく寄与されました。
昭和38年、東京オリンピックのための都市整備がこの地区にも及び、道路が拡張され、町名も六本木2丁目に変更されました。亀甲屋もこの時にいち早くビル化し、亀甲ビルとしました。

昭和43年に次男の敏昭が誕生しました。そして昭和47年、長男の一雄が日比谷高校から米国のノートルダム大学に進学し、昭和50年には娘の雅子が女優夏目雅子としてデビューしました。順風満帆な家族との生活を送っていましたが、昭和55年4月1日、夫の宗一氏を47歳という若さで失います。スキルスの胃がんでした。
このとき、次男の敏昭はまだ12歳、スエさんは悲しみをこらえ、父親の希望通りにゴルファーとして育て、敏昭も期待にこたえて日本ジュニア、関東学生選手権のチャンピオンになりました。
皆様ご存知のように、敏昭はその後プロとしてヨネックスオープンやJCBオープンで優勝し、
現在はゴルフスクールを経営しながら後進の指導に当たっています。

運命とは皮肉なものです。夫の宗一氏に続き、昭和60年9月、最愛の娘の雅子を急性骨髄性白血病で失います。一卵性親子といわれるほど仲のよかった二人ですが、女優夏目雅子に対する母と娘の価値観は違っていました。
「家に戻るときは小達雅子で戻っておいで」。母娘の衝突から和解へ至る壮絶な経緯については、
平成7年にスエさん自身が書き下ろした「二人の雅子」、これは昨年テレビドラマにもなりましたので
ご承知の方も多かろうと思います。

白血病は不治の病と言われましたが、骨髄移植によって治る病気になりました。
平成3年、骨髄移植推進財団の発足とともに、ドナー登録の重要性を理解したスエさんは骨髄移植の啓発に乗り出しました。
平成5年、長男の一雄とともに、抗がん剤、放射線治療などの副作用で脱毛されたかたがたを対象に、無償でかつらを貸し出す事業を始め、夏目雅子ひまわり基金を設立しました。
一雄のみならず、一雄の妻であり、女優でもある田中好子、プロゴルファー小達敏昭、郁子夫妻、一緒に暮らす銭神信子さん−ノブちゃん−ら家族全員が、スエさんのライフワークに惜しみない協力をしました。
以来16年間、基金によるかつらの貸与者は6000人を越え、基金の運営を支援する賛助会員は1万人に及んでいます。

晩年は福祉活動のほかは悠々自適な生活でした。3人の孫に恵まれて家族と過ごしたり、友人とともに旅行に出かけたりしておりましたが、平成16年ごろより、手足に軽い痺れを感じるようになりました。
パーキンソン病類似の難病である、進行性核上性まひという診断名でしたが、今日まで、無事に暮らせることが出来たのは、家族以上にスエさんの日常を世話してくれたノブちゃんの献身的努力の賜物であります。

今年に入り、日常生活の不自由さが増した3月15日に入院をいたしました。
一見順調な療養に見えましたが、5月10日深夜1時半ごろ、突然容態が悪化し、懸命の救命処置を続けましたが、同日夜午後8時58分、帰らぬ人となりました。
5月とは思えない冷たい雨の降る中、スエさんが愛した家族、ノブちゃん、そしてスエさんの仲間に見守られながら、苦しむこともなく最期を迎えました。

スエさんの設立した夏目雅子ひまわり基金の名は、生前、娘の雅子が好きな花の名をつけたと聞きました。今、いなくなったスエさんを思うと、スエさんは娘の雅子以上に大きなひまわりの花だったような気がします。夏の太陽が照りつける野原いっぱいに咲いている、大きなひまわりの花。
それは時に私たちの癒しとなり、しばし慰めとなり、また、常に励ましている、そんなスエさんだったような気がします。

本日ご参列いただきました皆様には心より厚く御礼申し上げます。
今ひとつお願いできるならば、残された小達家の家族、一雄、好子、敏昭、郁子、孫たち、そしてノブちゃんに、これからもスエさん同様のご厚情をいただければ幸いです。本日はありがとうございました。

                               平成20年5月14日           岩尾総一郎